縄文とは
縄文時代は10000年前から始まり、約8000年続きました。この時代から人々は土器を使用するようになりました。土器に縄模様があるので、縄文土器と呼ばれています。
故・岡本太郎さんは、日本において唯一つの優れた芸術性と日本のオリジナリティー(独創性)のあるものは、縄文中期の日本人によって作られた縄文土器しかないと言われました。縄文土器の中に日本民族の生命力のオリジンを発見したのです。
縄文土器には激しさと繊細さ、ダイナミズムと単純さ、しかも自分たちの生活の中からうまれた生活者の激しさと力強さがあり、かつ、純粋な素朴さがあるのです。今、瞬間瞬間に失いつつある人間の根源的な情熱を呼びさます力があるのです。日本民族の生命力を感じると岡本さんは言うのです。そして、ひとつとして同じものがないと言うのです。こうしたことが、この国の黎明は縄文だといわれる所以なのです。縄文の心が和の原点なのです。ダイナミズムと単純さ、素朴さが融合して生まれるエネルギー…。この中期縄文人の力強い生命力とオリジナリティーを、「縄文パワー」と呼ぶことにしたのです。
縄文パワーをどうして志楽の湯に再現しようとしたのか
日本人は、縄文時代から温泉に入っていました。縄文時代の中心地であったと考えられている八ヶ岳の近く、諏訪湖周辺で、大石がごろごろとほぼ環状に並んだところがあって、岩石の湯壺のような縄文遺跡が出土したのです。そして、その付近一帯に土器片や刃の部分だけを鋭くといだ石斧などが発見され、それらには湯垢らしいものがこびりついていたというのです。これらは約6千年前のものだそうです。温泉は何千年も前から私たちの心と身体を癒してくれていたのです。縄文人は、温泉に入ることによって毎日を生き抜くための心身のエネルギー源を吸収し、「縄文パワー」を発揮していたといえます。
この縄文パワーを現代の都会に蘇らせようというのがこの温泉のねらいなのです。今、日本で働く10人に9人近くは給与所得者で、ほぼ完全なサラリーマン社会であるといっても過言ではありません。そして、みんな目先の利益のみに目をうばわれて、縄文中期に発揮された日本人のオリジナリティーや力強さは失われ、企業家精神も衰えてきています。日本人の企業家精神の原点は、縄文時代から脈々と流れている縄文パワーです。この地に縄文パワーを生かすための縄文天然温泉が創れないか、と考えたのです。
かつてはここも縄文の森だったのです。その後は田んぼになり、時代の先端を担うもの造りの場となりました。原点に戻って、ここをもう一度縄文の森に戻すことにしました。そして2002年4月、1,300メートル近くの所で40℃近くの天然温泉が幸運にも出たのです。それは「ナトリウム塩化物強塩泉」という泉質でした。この温泉は、体をじっくり温めて免疫力を高めます。温泉の塩分濃度と人間の体液濃度との関係で、温泉濃度が高いと温泉有効成分が体へ浸透しやすく、いつまでもポカポカして快よく、保温状態がよいのです。すなわち、関東首都圏では珍しい、高張性(こうちょうせい)のナトリウム強塩泉なのです。
なぜ黒川温泉・後藤哲也氏による露天風呂なのか
有効成分の高い(成分総計27,750mg/kg)“化石海水”の天然温泉は出ましたが、施設をどう創るかで行き詰まってしまいました。そんな時、アメリカの友人を伴って九州・黒川温泉に宿泊しました。そのとき後藤さんは、和の原点である「縄文の心」を形にしていると直感したのです。後藤哲也さんとの出会いもこの時でした。さっそく、後藤さんの思いと考え方、人間力を知ろうと試みました。そして、黒川温泉の志「宿が部屋で、廊下が道」の戦略的意味がだんだんわかってきたのです。さらに、黒川温泉の露天風呂をまわりながら、縄文的なダイナミズムと素朴さを身をもって体験し、「都会に古里を…」という、一見不可能に思える夢の実現を後藤さんに頼んでみることにしたのです。
そうするに至った理由は、後藤さんの木と石に対する基本的な考え方です。「自然の木を植えても、不自然な植え方では絶対にいかん。全体像を見て植えよ」「悪い石があって、自然らしく見える。良い石だけを持ってきて自然ができるものではない」という考え方です。また、「宿の家ばかりに力を入れて建てても、それじゃあ繁栄しない。木を植えて初めて入ってみたくなる雰囲気ができる」と言うのです。こうした発想が縄文的なのです。この発想を生かして、建物を建てる前に後藤さんの指導で露天風呂を、設計と建築工事の常識に反して最初に創ったのです。露天風呂は信州・八ヶ岳の230トンもの安山岩と、大分・飛竜野の山頂で育ったコナラを中心とした自然木を使って創りました。かたわらには小川のせせらぎも再現しました。
「志楽の湯」名前の由来
もともと和語の「こころざし」は、「こころ(心)」と「さし(指し)」の複合語であり、ある対象に心をひきつけられる時、それがきっかけとなって生まれる志向性を持つ心の働きを指していたのです。この「こころざし」が漢字の「志」の訓読みに当てはめられるようになってからは次第に「心中に、ある目的を定めること」という、より高次の「目的意識」を持つ精神作用を指す用法へと移り変わってきました。するとその目的意識は、より高い価値ある目的を創り出す精神エネルギーを指すことになるのです。だから縄文人はオリジナリティーのある土器が創れたのです。
縄文人は稲作だけを行っていた弥生人と違い、変化に対して的確に行動しないと生きていけないので、危機管理にすぐれていたといえます。危機の時に判断を誤れば直接身に危険が及びます。そこで、全体の流れをつかんで大局的判断をする習慣が身についていたと思われます。また、黒曜石で作った矢じりを使って狩りをする時や住居を作る時もチームワークが大切でしたし、積極的な心構えを持っていなければ生き抜いていけなかったのです。現代流に言えば、企業家精神が旺盛だったと言えます。企業家精神の持ち主は、この目標創造能力を大切にします。
また、志はより良く生きようとする熱意や勇気から生まれる人生の目的のことをいいます。大切なのは目標の大小よりも質です。その質が高くないと志とは言えません。とはいえ、一隅を照らす目標はすべて志へと成長する可能性を秘めているので、その気になれば誰でも志を持つことができるのです。
この「志」を「楽」しむゆとりを、志楽の湯で取り戻してほしいという思いから「志楽の湯」と名づけたのです。
「癒し」の次のステージを提供したい
私たちはいつのころからこんなに疲れてしまったのでしょうか。仕事や時間に追われ、身も心もすり減らしてばかり。「豊かな暮らし」と引き替えに本当に大切な何かを見失いつつあるような気がします。
「癒しブーム」はその象徴です。刹那的な安らぎを求めざるを得ない風潮からは、危うい曲がり角にさしかかっている現代人の姿が透けて見えます。私たちはそろそろ「癒し」の先のステージに向かうべきではないか…。伝統的な和の精神のルーツ「縄文」に光を当てたのは、そう考えたからでした。日本人のDNAに刻まれている縄文の力を呼び覚ます……それを志楽の湯のコンセプトの中心にしたのです。
志楽の湯は、お客様一人ひとりが内発的意欲を起こし、志を楽しめるダイナミックで生き生きとした社会の創造に貢献します。そして、縄文天然温泉を通じて一人ひとりが自分自身の本来の生命力を取り戻し志を持って前進できるように、心身のエネルギーを充電できる場を提供します。
志楽ニューズレター 創刊号 2006年1月1日発行
企画:グループダイナミックス研究所
発行所:志楽ダイナミックス